Saki Sakurai

意味を考えることの落とし穴

2021.11.02

たとえば、病気になったとします。わたしたちがよくやるのは、「なぜ起こったのか」、「どうしてこれがわたしの身に降りかかったのか」という意味探し、原因分析です。

わたしの何が悪かったのだろう。わたしがあのときあれをしたから?まだ癒されていない想念がわたしのなかにあるから?今世だけでは足りなくて、もしかしたら前世のあの経験?ホーリースピリットがわたしに送った試練なのかしら。

確かに、形而上学的にはすべて自分の夢なので、(無意識の)自分の心の中の選択だといえます。そういう意味では、自分が起こることを選びました。でもそれを考えたところでどうにもならないのも事実なので、ここはシンプルに、すでに起きたことを今この瞬間ホーリースピリットと共に見るか、自我と共に見るか、その選択だけかな、と思います。

前述のように起きた出来事に意味づけをするのが大好きなわたしたちですが、それには落とし穴があって、深刻になればなるほど、どんどんその出来事に実在性を与えていってしまうのです。

この世界のすべてが狂気なのだから、その一つをとって、上から見たり下から見たり、斜めから見たりしても、やっぱりそれは実在しないものです。「これは間違いだ」と認めて、今この瞬間にある選択に戻る。

選択はつねに一つ。スピリットを選ぶか、自我を選ぶか。

そして、ホーリースピリットと共に見たならば、そのときわたしたちは「これがわたしの平安を奪い去ることはない」と確信していられます。