Saki Sakurai

ゆるしについて

2021.11.13

奇跡のコースでは、ゆるしというのがキーワードとして頻繁に出てきます。そして、これを理解し実践することが要となります。さらには、ゆるしがわたしたちの人生の時間の使い方です。

学び始めは、どうしてもこの言葉がピンとこないかもしれません。そして学びが進んだ後も、立ち止まってズレていないかどうかを確認することが必要かもしれません。

というわけで、今日はゆるしについて書いてみたいと思います。

まず、ゆるしという言葉が、この世界で通常使われる意味合いとは違うということについて強調しなければなりません。この世界で一般的に使われる場合、ゆるしとは「誰かが自分に何かをした事実について許す」だと思います。あの人はわたしにあんな仕打ちをしたけれども、(心が広いわたしが)許します、というふうに。

でも奇跡のコースでいうゆるしは違います。誰かが自分に何かをしたと思った(そのように見た、信じた)自分自身の心を訂正することです。そして、厳密にいうならば、自分の心を自分で訂正することはできないので、ホーリースピリットに訂正してもらうことです。

簡単な例で見てみましょう。例えば、わたしがAさんにひどい扱いを受けたことで悲しい気持ちになっている状況があるとします。最初、わたしの心に広がっているのはこうです。

「Aさんがわたしにひどい仕打ちをした。わたしは何もしてないのにどうしてあんなことをいうのだろう。謝ってもらわなければ気が済まない。」

ここで「きっとAさんは〜〜な人だからわたしにこうしたのだろう」とか「わたしの○○な気質がAさんを攻撃的にさせたのだろう」とか、「謝ってもらうためには××で〜〜」とか、分析が始まるとダメですね。抜け出せないグルグルの中に入ってしまいます。実際そこには解決策はないのです。

分析をやめて、ここで一旦立ち止まってみます。

そうだった、原因は外にあるのではなくて、自分の内側だった。わたしは自分の心を外側に投影しているのだった。わたしはAさんが原因で悲しい気持ちになっているように感じているけれど、本当の原因はわたしの心にあるのかもしれない。

ここまでは、理論として知的レベルで思い出すことはできると思います。が、Aさんのせいにできないのは屈辱的に感じますし、不快な感情がさらに増幅するように感じます。絶対に自分は正しいという主張を取り下げるのはそんなに簡単ではないのは誰もが経験している通りです。ここにくるまでに、時間がかかることがたくさんあります。

続いてさらに一歩深く進みます。

原因はわたしの心にあるのかもしれない、と視線を外の世界から内側に向け直した後でも、まだAさんを咎める気持ちがあるし、不快な感覚も感じています。ここが踏ん張りどころです。そこを通り抜けていきたいのですが、実際に行うことは、その不快な感覚を一切の咎めなしに、感じ抜くことです。こんなことを感じてしまっている、とかゆるせない自分はダメだとか、そんな判断を一切脇に置いて、ひたすら感じるのです。

そしてこれは、言葉にすると簡単なように聞こえますが、実際本当に鮮烈で、逃げ出したくなる脅威的な経験です。これを見たくないばかりに、わたしたちは外の世界に問題をたくさんこしらえているのですから。これは、1人では絶対にできないことです。ここで、ホーリースピリットと共に、見てもらう、ということが必要なのです。罪悪感が存在しないことを知っているホーリースピリットと共にだからこそ、いかなる激情も、優しく慈しみの目で見ることができるのです。これが、罪悪感を正視している、という状態です。

ここから先は、最初はわからないかもしれませんが、ゆるしの練習が進むと頭ではなく体験的な理解としてわかってくるようになりますので、最初は「そういうもんなんだ」と思って読むだけでも大丈夫です。

正視していると、やがて、Aさんへの咎めの気持ちと一緒に「自分を咎めたい」という気持ちがあることがわかってきます。そして、自分を咎めたい気持ちを感じていると、自分は罰を受けて当然だという思いに行き着きます。これは自分が神から分離したと信じることを選択した(=自我のいうことを聞いて、自我を信じた)ことから生じたものです。罪を犯した(と信じることにした)ので、罰せられることを恐れるようになった、それが罪悪感です。

ここが大事です。わたしはどこの誰かのせいで恐れに晒されていたわけではないのだ、自分で選んだのだと知ることが一番大事です。わたしは、他の誰でもない、自分の選択で、自我を選んでいた、と責任を受け入れることが大事なプロセスです。選択の力は自分にあるのです。ここまでくれば、もう1つの方を選択したいと願う=罪悪感を手放すことができます。あとは、ホーリースピリットが罪悪感を拭い去ってくれます。実際にそれは元々なかったものなので、ないことがわかります。

これはポンポンポンと進むようなものではありませんし、ふつうは、長く複雑な過程のなかで、ゆっくりと進むことです。ひとつのステップのところに、長くとどまってしまうこともあります。

そして1回ゆるせば、罪悪感が全て一気になくなる、というわけではありません。扱うのは、巨大な罪悪感のうちの、ほんの氷山の一角なのです。しかも同じ人を、同じ出来事を何度も何度もゆるさなければいけないことだってあると思います。それほどに、わたしたちの恐れは大きなものだからです。

ゆるしは、一生続くものです。でも、この世界で唯一意味のあることです。