Saki Sakurai

わたしは罪人でありたい!

2022.10.01

そんなこと到底信じられないと思いますが、わたしたちは、問題を手放したいと思っているその奥では、手放したいと思っていません。

その問題の表面上のところでは変わってほしいと思ってますが、それを問題と知覚させている根幹の部分、力動学の源については、見たくも聞きたくもありません。

たとえば、Aさんとの関係で悩んでいる。Aさんはあのとき自分にこう言った。そのことが頭から離れななくてぐるぐるする。夜も眠れない、という人がいたとして、この人が望むのはただ1つです。

一刻も早く、Aさんに謝ってもらうこと。自分が悪かった、あなたは何も悪くないよと言ってもらうこと。

これが、この人の考える「問題の解決」です。正確に言うと、この人の自我が考える解決法です。

でも、その表面上のところでごちゃごちゃしても、何も変わらないです。その問題を作り出したのは、他ならぬ自分の信念だからです。そう、「自分はとんでもない罪人だ」という信念が、Aさんとのそのドラマを作り出したのです。

でも、そのことには絶対に気付きたくありません。このドラマの作者で、自分がAさんを使って自分を咎めているなんてことは、死んでも気付きたくありません。一生、Aさん=加害者、わたし=被害者でいたいのです。

それだけは死守したいのです。

自分はとんでもない罪人だという信念を、奇跡のコースでは罪悪感と呼びます。この罪悪感と対峙するのは、本当に身を引きちぎられるほど辛い、衝撃的な経験です。でも、それほどまでに辛くても、わたしたちはこの罪悪感を手放したくありません。不平不満を手放したくないし、自分が被害者だ!と声をあげるための加害者の誰かを手放したくありません。その執着心を、見くびらないほうがいいです。むしろ、まだ手放したくない自分に敬意をもって、接した方がいい。それが道を進むうえで、大事なことです。

狂ってますよね??ほんとうに、狂ってるんです。自我は。