Saki Sakurai

判断してはいけない?

2022.08.21

奇跡のコースでよく言われる、「判断を放棄すること」について今日は書きます。

この世界は、判断力を養うこと=自分の力で生きていけるようになることという”判断基準”で成り立っています。無知な子どもが、経験を重ねて、判断力を身につけて、間違った判断をしない大人になるように育てるのが大人の義務です。

ひとつの視点では、それは大切なことです。「赤信号で道路を渡らない」とか、「時間に遅れそうなときは相手に連絡をする」とか、そういったこの世界で生きるための、常識的な判断を子どもたちに身に着けさせることは大事なことです。

そして、自分の力で生きていけるように判断力を養いながらこの世界を知っていく、健全な自我を育てるのが少なくとも10代の終わり、20代のはじめくらいまでの仕事です。成長期の真っ盛りに、世界のことを吸収しながら、「この世界は幻想だ」とか「自分はいない、他者もいない」などといわれたら、混乱してしまうのは目に見えています。子どもたちはまず、この世界で生きていく力をつけなければいけません。

だから、あちこちの著書でケネス・ワプニック先生が述べられていますが、奇跡のコースは自我がよく育ったあと、大人になってから学習するのがよいと思います。たいていは、自分のやり方(これがエゴですが)が通用しなくて、もがき苦しんで、なんだこれはどうしたらいいんだ、と立ち止まるタイミングで、わたしたちはUターンを始めるものです。

そこで、始まるのです「判断を放棄する」というプロセスが。これは自我にとっては最も屈辱的なことです。自分の力で生きていくために今までやってきた、がんばってきた、それを否定されることは自分を消していくようなものなので、ものすごく抵抗にあいます。いつもではないけれど、これで生きてきて、うまくいったこともあったもの。これが私らしさだもの。といって、手放したがりません。

しかし、奇跡のコースとは自分がこれまでに学んできたあれこれをすべて白紙に戻していくプロセスです。自分が隠しもつ、ひとつひとつの信念、行動パターン、判断を直視することが避けられません。直視したとしても、最初のうちは「そうだった、判断してはいけないんだった。」とあとから何とか思い出すのが関の山でしょう。しかも、うんとあとから。

でも、そのうち「判断してはいけないのではなく、判断できないのだ」とわかるタイミングがきます。これは、本当に荷が降りて軽くなることです。そう、わたしたちには判断できないのです。

過去も未来もすべて、自分以外のあらゆる人のすべてを見渡して、それら全方位にとって何が最善かを識別する力があなたにはありますか?自分の半径1mだけしか見渡せない視界で、しかもその視界は曇っていて、それでこれが最善だとなぜ言い切れますか?

「この問題については(この人とのことについては)わたしが、いちばんよくわかってるんです。」そういうときほど、まったくトンチンカンなことをやっていると思った方がいいです。

奇跡のコースは、「わたしにはわからない」ということを受け入れていく道です。その爽快感を味わっていく道です。それは屈辱的なことではなく、大きなものに守られている安心とともに歩む道です。その存在に少しずつ心を開いていく道です。