Saki Sakurai

真に問題のある場所

2022.07.30

奇跡のコースで実践の要となる「ゆるし」について、お話ししたいと思います。

ゆるしが、この世界で俗に言う「許し」でないことは過去にすでに述べましたが、この点はいくら強調しても足りないのでもう一度説明します。というのも、学びの初期において「霊的に進んでいる(もしくは器量の大きな)わたしが、あなた(の罪)を許しましょう、大目に見てあげましょう」というものを、ゆるしだと勘違いしているとその先、どこにも行きつかないからです。学びが進まないからです。

これは、非常に大事な点です。

なぜなら、それは分離を強化するだけだからです。夢から目覚めるところか、夢の中にさらにズブズブと入っていくようなものだからです。

この世界のいかなる事象においても、ゆるしは、人と人のあいだで起こるものではありません。厳密に、自分の心の中で起こるものです。なぜなら、問題はそこにしかないからです。

この世界をつくったのは、自分なのです。わたしたちは、夢を見ている心なのです。この世界のあらゆるものをわたしたちは作り出しました。正確に言えば、わたしたち全員の共通のエゴが作り出しました。そう、目を覆いたくなる殺人事件、戦争、テロ、環境問題、病気、自然災害を作ったのも自分自身だということをわたしたちは受け入れなくてはいけません。

「えぇぇ!わたしが作ったの?あの嫌な人も、あの嫌なできごとも!?それからあんな無惨な事件も!?」

はい、そうです。

自分でつくっておいて、それから自分でつくったという事実を忘れることにしました。さらには、自分でつくったという事実から目を背けるために、わたしたちはこの世界で深く深く眠ることにしました。

嫌な人や、嫌なできごとは、眠ったままでいたい心には最良です。むしろ、それがないと目覚めてしまうので必死で問題をつくりだします。「悪いのはわたしじゃない!だって〜〜で、××で、○○なんだもの!!!!!」と叫んでいる限り、眠ったままでいられます。

問題のある場所は、自分の心のなかです。この世界には、誰も、何も傷つけるものはありません。肉体は傷つくことがあるでしょう。通り魔にあったり、車が突っ込んできて、文字通り誰かに肉体を傷つけられることはあるかもしれません(ものすごく、極端な例ですが)。それでなくたって、肉体は老いて、病んで、朽ちていきます。

でも、わたしたちの真のアイデンティティは夢を見ている心です。傷ついたり老朽化する肉体は、夢に出てくる登場人物です。夢を見ている心は、生まれてもいませんし、死にもしません。傷つくこともありません。永遠のいのちあり、愛です。

わたしたちは、それを忘れて、夢を見ることを選び、夢の中の登場人物と同一化することを選びました。それはわたしが自我の声に耳を傾けたからでした。いま、わたしは、その選択をもう一度訂正し、正しい心(ホーリースピリットの声)を選び直します。

これが、ゆるしです。これだけが、ゆるしです。

つまり、相手の人がどうとか、目の前の悲惨な事件がどうとかは一切関係ないのです。問題のある場所を、相手の人とか、悲惨な事件の中に置いたままで、真のゆるしなんかできないのです。

そんなこと言って、「じゃああなたは、目の前で自分の家族が事故にあったとき、そんなふうに思えますか?自分が誰かに殺されそうになったとき、そう思えますか?」というのが、最初に出てくる自然な反応だと思います。答えは、「できないと思います」です。でも、毎日どの瞬間もゆるしの実践をしているので、もしかしたらいつかはできるかもしれないですね、というのが答えです。

イエスは、極端な例でわたしたちに示しました。十字架の磔の刑のとき、イエスは拷問する人々に怒りをもったり、自分の運命を呪ったり、使徒のなかの”裏切り者”を追及したりすることはありませんでした。イエスは、ホーリースピリットの声を完全に受け入れていたので、つまり完全に目覚めていたので、夢のなかの登場人物(=肉体としてのイエス本人)に同一化することはありませんでした。目覚めて、永遠のいのちと愛そのものであり続けました。つまりそれは、十字架刑は、イエスの心から平安を奪い去ることはできなかったということです。

わたしたちは、いまの人生でたぶん、十字架刑にあうほど極端なゆるしをしなくてもいいはずです。大半の人は日々、半径3m以内の人間関係で、イライラしたり悩んだりすることがほとんどだと思います。それが、ゆるしの実践の場です。

奇跡のコースの「ゆるし」の概念を、この世界のなかに持ち込んで(引きずり下ろして)、眠ったままでいることのないようにしたいです。すみやかに問題の場所(=自分の心)に戻り、ホーリースピリットにこの世界の外に連れ出してもらって、目覚める。それが奇跡のコースのカリキュラムが目指すゴールです。