Saki Sakurai

罪悪感の沼にはまらない

2022.05.08

この世界にはわたしを傷つけるものはないし、わたしはいまだかつてこの世界の何も、誰も傷つけたことはなかったと知ることが、奇跡のコースの学びです。

でも、本当は動揺しているのに「わたしは傷ついていません」と主張することに何の意味もありません。

動揺する自分を認め、受け入れる。これが、動揺しなくなるための最短距離ですが、口で言うほど簡単ではありません。

こんな気持ちにさせた相手が悪いに決まってる、あの人がこう変われば自分は穏やかになれる、いや、でもコースではすべてが自分の心だと言っていたよな、だとしたら相手のせいではなくて自分のせい。ああ、こんなことで動揺する自分が恥ずかしい、こんなことで相手を責める自分が恥ずかしい、わたしはコースの道を歩いているのに、何年前と同じことをまだ繰り返している。うんぬんかんぬん。

ぐるぐるしますね。これが皆さん経験済みの、罪悪感の沼です。そしてわたしたちは実は、この沼で溺れているどころか、自分から飛び込んで泳いでいるところがあります。(よね!?)

抜け出す最短ルートはこうです。

あ〜、動揺してるなぁ。(うんうん、それでいいよね)わたし怒ってる!!あの人に怒鳴りつけてやりたいくらい(おぉぉぉメラメラしてるしてる)

ここで大事なのは、判断しないことです。動揺したり、怒ったりしていることが悪いと決めつけないこと、さらに自分が怒っていることをも正当化もしないことです。

雨が降ってやがて止むのを見るように、鳥が木にとまってまた飛び立つのを眺めるのと同じように、ただ、観察します。それだけです。それが、ホーリースピリットとともに、心を見つめている状態です。

「相手が悪い!だってこうこうだもの!」「自分が悪い。もう取り返しはつかない」このようながんじがらめの心には、風が入ってくる隙間がありません。

ただ眺めている心には、隙間があいていて、そこから新しい風が入ってきます。その風がどんなふうにわたしたちを誘うかはわかりません。ただ、エゴの風景からふわっと引き上げて新しい景色を見せてくれることは確かです。

大まかに、ざっくり言うと、これが奇跡のコースであり、これがゆるしです。罪悪感を正視する、ということです。